ウッドロウ・ウィルソン夫人との晩餐

アリスはウッドロウ・ウィルソン夫人を自動車で明治神宮外苑へ案内し、散歩したが、面白い話をしてきた。ウィルソン夫人は意味の深いことをいった。それは日本では微笑が大変役に立つということである。これは全くその通りで、大使館の門にいる巡査をはじめ、彼女がキムを運動に連れて行く道筋のお母さんや赤ん坊等、アリスは多数の「微笑する」友達をもっている。

東京の聖ルカ病院長、ドクタア・トライスラアの家で、ウッドロウ・ウィルソン夫人、樺山伯爵その他と晩餐。私の隣に坐ったウィルソン夫人は、1916年、ウィルソン大統領が自分の再選を知った極めて面白い話をした。彼はホワイト・ハウスにいて選挙運動をすることは適当でないと考えたので、ニュー・ヂャーシィのアシュペリイ・パークの近くに家を借りたが、夏中多忙でワシントンを離れることが出来ず、恒例の火曜日に行われる選挙の数日前、やっとこの家に移った。このころラジオはまだなかったが、ウィルソン大統領は電信会社が彼の家に特別な線を引く「特権」を利用することを欲せず、秘書のツマルティにアシュペリイ・パークの役場から電話をかけさせることにした。

火曜日の夜にかかってきた唯一の電話は、ニューヨークにいるマーガレット・ウィルソンの友人からのおくやみで、タイムス・ビルディングが、ヒューズ氏の当選を示す赤い光を発射したというのである。ウィルソン氏が当選すれば、白い光を出すことになっていた。マーガレット・ウイルソンは、そのくらいのことでは敗北は認めない、もっと何か証拠がなければと答えたが、大統領はもうお仕舞だと思い、これでやっと仕事から解放され、有難いことだといって(ウイルソン夫人はもし彼女の夫がこの時再選されていなかったら、今日でも生きていたろうといった)牛乳を一杯のんで寝てしまった。家族の人たちは起きていて、ほとんど一晩中話をした。翌日の水曜日には、午前四時、ヴァンス・マコーミックが電話で西部の方の結果がわかるまでは自分は選挙の勝負を認めないのだといった以外、何のニュースも入らなかった。

選挙が終わって二日たった木曜日の夜、ウイルソン夫妻はセイヤア家の赤ん坊の洗礼式につらなるため、ウイリアムスタウンへ出かけ、寒村ウイホウケンで汽車を乗換えたが、ここのプラットホームで未知の婦人がウイルソン夫人に花束を贈り、彼女の夫の勝利を祝った。二人はこの時初めてこのことを聞いたので、それまではヒューズ氏に負けたものとばかり思っていた。ワシントンでは、少なくとも24時間前に分かっていたのだが、ウイルソン氏たちは勿論知っていることと思って、誰も通知しなかったのである。で私はツマルティはその間一体何をしていたのかと質問した。ウイルソン夫人は、彼は恐らく勝ったというニュースに圧倒されていたのだろうと答えた。このようにして、最も関係の深い人、つまり大統領彼自身は、彼が再選されたことを最も送れて知った人の一人だったのである。