1932-12-29から1日間の記事一覧

ソ連−外交的儀礼の脚注

トルコにいた時、私はソ連大使を外交団の主席として認めることは出来ず、ソ連を承認しない国々の主席としては、その次のドイツ大使が代理すべきであるという立前をとっていた。だが、トルコでは、私がこの状態を記録に残さねばならぬような事態は起らなかっ…

大使、打ち寛ろぐ

官邸ですごいポーカアの勝負をやり、白鳥をさんざんやっつけてやった。人間をしるのにポーカアほど都合のいいものはなく、私がこの会を開いたのは単に勝負が面白いからばかりではない。われわれは五時に始め、七時半に素晴らしい食事をし、十時まで勝負を続…