ソ連−外交的儀礼の脚注

トルコにいた時、私はソ連大使を外交団の主席として認めることは出来ず、ソ連を承認しない国々の主席としては、その次のドイツ大使が代理すべきであるという立前をとっていた。だが、トルコでは、私がこの状態を記録に残さねばならぬような事態は起らなかった。しかし、いまやバッソンピエールの不在中、トロヤノウスキイが臨時主席となるに及んで、一月五日の新年宴会で彼が天皇に言上する挨拶の原文に賛成することを求める回覧状がきて、突然私はそれに署名するか拒絶するかをきめねばならぬことになった。私は署名を拒んだが、オランダ公使はトルコにおける故レンガア男爵の態度を手本として拒み、ルーマニア代理公使その他若干の外交使節も同様に拒絶した。しかし私はドイツ大使のフォレッチの、トロヤノウスキイに、これは私として何らかの故意な非礼を意味するものではなく、単に技術上の問題だと話してくれと頼んだ。トロヤノウスキイはフォレッチに、彼自身を外交団の主席と認めることは彼の国を承認することにはならないと考えるので、今度会ったらよく話し合おうと答えた。そこで私は用心深く国務省に電報を打ち、恐らく私の態度を支持することと思いながら、訓令を仰いだ。

ところが私ばかりでなくネヴィルその他も大いに驚いたことに、国務省は私が主席と外交団との間に普通行われる交際上の、また儀礼的なつき合いをトロヤノウスキイとやることに何の反対もせず、もし彼が訪問してきたら、私は彼を受入れるべきであり、また私の名刺が「外交団主席へ」と記してある限り、名刺の交換をして差支えなく、その後は私が個人的の名刺を使って交換を行ってもいいと返電した。要するに私としては、トロヤノウスキイをソ連政体の代表者として公式な関係を結ぶように見えないこと以外は、何をしても構わないというわけなのである。

いずれにせよ、何の実害も起らなかったのである。私は即座にオランダ公使パブスト将軍を訪れて、私が決意を変えたことを話し(私のやり方を彼は非常にいいと思ってくれた)またルーマニア代理公使ストイセスコに来てもらって、このことを話すことにした。その後私はネヴィルに、ソ連大使館に例の回状をもう一度送るようにいわせ、すぐさま署名した。