京都
今晩はまたしても大変な待遇を受けた。一体日本で、どれほど多くの待遇がわれわれのためになされるのだろうか。まったくこの国の生活は提供すべき多くの物を持っている。われわれは大沢一家の美しい家で、完全に日本風な食事をした。父親は実業家で、ヂェネラル・モータアズの京都代理人、京都商業会議所の会頭だが、古いサムライ家族の出である。われわれが京都に着いた時、世話をしてくれた令息の一人は、プリンストンの卒業生で、非常に綺麗な細君を持っている。この晩餐に列したのは、母親と別の娘と、もう一人の息子で、それにわれわれの一行と瀧野氏とが加わった。この晩餐のことをうまく記述し得るかどうかは分からない。その美しさと典雅さを本当に鑑賞するには、実際の経験をするより方法はないのである。
われわれは入り口で靴を脱いで家に入る。すると息子達以外はすべて和服で、ことに若い婦人たちは派手な色合の和服で、われわれを出迎える。数分間四方山の話をした後、主人役はわれわれを茶室に案内し、ここで一同は壁に沿っておかれた座布団の上に膝を折って坐る。この部屋は例によって四角く格子組された障子と一点の塵もとどめぬ畳によって構成され、その完全な簡素さをさまたげる家具は何一つおいてない。しかし習慣として一つの芸術品、即ち掛け物か生花かがあり、客は茶湯にふさわしい気構えに入るために、これを讃めることになっている。一隅には釜が床に埋まり、炭火の上に置かれるが、炭は勿論見えない。この家の娘が入口にきて丁寧にお辞儀をし、それから義理の姉さんに助けられて、茶の道具を一つ一つ持ちだす。木の台、軽い木製の柄杓、茶の箱、使わない時に柄杓を置く台、鉢、茶荃、それから帯にはさむ緋の布である。すべて準備がととのうと、義理の姉さんは最初の茶碗を持ちだす。これは美しい小さな陶器製のもので、これらは全部清潔な畳の上のきまった場所に置かれる。
そこで茶湯が始まる。まず饅頭といわれる菓子で、一種の豆の練り物と糖菓でつくったものが客のめいめいの前にだされ、それには、それを食うための小さい箸がついている。そこで令嬢は膝をついて柄杓を釜に入れ、熱湯を茶碗に注ぎ、三、四回、きちんとした動作で緋の布をひろげたり畳んだりして茶碗を洗い、緑色の茶を茶碗に入れ、同様にして熱湯を汲み入れ、さて茶荃を三回の動作で動かしてかき廻すのだが、その一動作ごとに茶碗の縁にカチンとあてる。これで最初の茶ができた。姉さんは一回のくねくねした動作で立上り、第一の客の前にきてお辞儀をし、茶碗を彼の前におく。すると客は低くお辞儀をしてこれを受け、まずその茶を右側の隣人に提供するが、その人は丁寧に断る。今度は左側の隣人に提供するが、この人もまた断る。そこで第一の客人はもう一度低くお辞儀をしてから茶をのむのだが、用心深く左手を茶碗の底にあてがい、右手でそれを覆い、また自分の前にかがんで茶碗に感心し、その美しさを主人に語る。これと全く同じことが、客人の全部が茶を出されるまで、各人について行われる。これは私の最初の茶湯だったが、まことに優美で印象的である、ほとんど厳粛ともいうべき国民的儀式だとおもった。
茶湯が終わってわれわれは、次の部屋へ集り、四角形の座布団の上に坐った。美しい着物に古風な紙の結い方をした給仕女たちが、例の脚のついた小さい漆器のお膳を持ってでて、それぞれの客人の前においてお辞儀をした。すると熱い酒が出され、食事が始まるまでに小さい盃が二、三杯飲みほされ、酒が充たされた。料理はスープに入った美味な煮魚、別の魚のフライ、小海老のサラダその他で、箸で食うことはいうまでもない。私はほとんど全部平らげたが、これは危険なことだった。スキヤキがこれに続いたからである。
最初のお膳が下げられると、二つの大きな丸テーブルが持ち込まれた。それぞれに炭火の火鉢と、客のめいめいのために生卵が入った皿と、すべての料理の中で最もうまい料理の材料である生肉やネギやその他の物をいれた皿、皿、皿が乗っている。いうまでもないことだが、私どもは食事の終わるよほど前に、すでに満腹してしまったが、まだ果物と続けざまに二杯のお茶とがだされた。だが、食事の間中、私はこの部屋それ自体の完全な均斉と典麗とから目を離すことが出来なかった。この国で通常見うけられる簡単な障子にかこまれた大きな四角い部屋で、その一方は廻廊になっており、大きな窓から日本風の庭園が見える。畳みは塵ひとつとどめず、また部屋の中には三個の物しかない。一つは桜の花の美しい掛け物、第二は生花(壺にバラを三輪と太い桜の枝を生けたもの)第三は陶器の獅子とその下に簡単な漆塗の箱とを置いた漆の台である。これだけだが、日本の観点からいえばこの部屋は完全に家具を備付けられているのである。われわれは暇乞いする時、冬眠中の熊みたいにヨロヨロしたが、この一晩もまたわれわれが長く記憶するに違いない一晩だった。