廣田、一九三四年海軍会議について語る

賜暇

私は一ヶ月の休暇を得て北平へ旅行するに先立ち、外務大臣を訪問して暇乞いをし、そしてもし私の留守に何か彼が大使館と打合せしたいと思うことが起ったら、ネヴィル氏が留守をあずかっていて、何時なりともよろこんでお役に立つだろうといっておいた。

海軍会議

外相は自発的に海軍会議の問題に触れ、日本は一九三四年の終り頃、華府条約を廃棄することを確定したといった。海軍内の多くの分子は、即時廃棄を望んでいるが、署名調印国の一つが廃棄すれば、他の調印国に関しても華府条約は無効になるので、廣田氏としては他の諸国の反感をかわぬように、また廃棄があらかじめ相互的了解なくして行われることが、今度の海軍会議に悪い雰囲気を起すことを避けるように、これを十月のロンドン会議の済むまで待つことを強調した。この廃棄の議論は各国と別個に行われるべきであるが、斎藤大使がワシントンにいないので、ロンドンで松平大使が合衆国の予備会議代表と行うことになっていると廣田氏は話した。

廣田氏は、海軍問題を諸外国と解決しようということは、疑いもなく困難ではあるが、盲目的愛国者たちと直面せねばならぬ国内問題ほど困難ではないといった。彼はまた、各国に将来、重い建艦計画をかけるのを避けるべく、海軍問題のある程度の解決に大きな希望をもっている。別して日本海軍の青年将校は大鑑建造に反対し、小艦艇の方に賛成しているからだといった。