日記と通牒とを説明する

日記を読み返してみて、よくこんなものを誰かに送る勇気があったものだと、自分ながらあきれた。まるでつきはぎだらけな寄せ切れ細工のかけ布団で、大急ぎで書き留めた時評の非常に多くは、それ以上の説明と議論とを必要とする。たとえば日米関係の如く、非常に大きく日記のような軽率の書き物で網羅することの不可能な問題は、私が性急に書いたその日その日の論評だと、誤った印象を与えるかも知れない。だが公文書は全体として相当によくこの問題を報道しており、歴史の観点からすれば、準拠を提供するに違いない。日記がなし得る唯一の仕事は、本文に若干の挿絵を補充することだが、歴史的にいえば、これらの挿絵は本文を離れて考慮に入れられてはならぬ。これらはあまりに一方的な、不十分な印象を与えやすい。

われわれの公文書も、正確な叙述をつかむためには、長い時間にわたって、一つの全体として読まれねばならぬ。公文書のあるものは矛盾しているとみられても仕方がない。一例としては海軍会議に関する公文書の一つ(1087号)は大統領の目にも触れたと聞くが海軍比率については日本人全体が非妥協的で、この問題では一致団結しているという考えが基礎になっている。それは現在まったくその通りなのだが、二週間後、私は別の文書(1102号)を書き、これは単なる当て推量で、その通り記載されているが、以下のようなことを報告した。即ち、米国が本気で現行比率を維持し、条約海軍力まで建艦せんとし、事実建艦し、よしんば建艦競争を意味しても、その政策を強行するということを早晩覚れば、日本はこんなふうな競争をするよりも、むしろ妥協を見出そうとするだろう。そして日本は背水の陣を布いてしまったが、彼らは一定時間内に−華府条約が消滅するまでの二年間にでも−世論と政策を鋳直す能力を持っている。これは前にもいったように当て推量だが、しかも参事官や海陸両武官を含む当大使館員の全部が、しっかりした当て推量だということに同意している。だからこれら二つの公文書は、事実的には矛盾していない。第一には現状を報告し、第二のは、将来、もし米国が五対三の比率を保つため、海軍を維持し、建造する決意を明確に、事実上表示すれば、かかることが起るだろうということをあつかったのである。大統領がもし両方とも読んだのならば、この点を認識してもらいたい。