廣田再編成す

廣田に組閣の大命降下せることを国務省に打電する。私は大いによろこんでいる。廣田は強く、安全な人間である程度まで陸軍の機嫌を取らねばならぬだろうが、対外問題については、国内のある分子を懐柔する必要はあっても、出来得る限り賢明にそれを扱うことと信じる。また彼は合衆国との友好関係を欲し、その方向に出来るだけの努力を−もっとも現在の日本の大臣がなし得る範囲でだが−払うことと思う。もし私自信が政府の首班をせんたくするものとすれば、米国の利益を念頭において、廣田以上によろこんで選ぶ人間はない。現在首相になる人は陸海軍の信用を得ていることが絶対必要なので、徹底的な自由主義者を持ってくれば、はじめから片輪にされるにきまっている。

驚いたことに、廣田は吉田*1を外相とする新内閣の顔ぶれを即刻発表し、新聞によると吉田は組閣参謀長だそうである。われわれにとってそれは、とりも直さず、牡牛の前で赤い旗を振り回すことのように思われた。吉田は断固たる自由主義者であるばかりか、牧野伯爵の婿なのである。もちろん陸軍が吉田を受入れるはずはなく、間もなく廣田が組閣に困難を感じていることが発表され、彼が陸相として目をつけた寺内将軍からは、廣田の人選に根本的な変更が加えられぬ以上、受諾を差控えるという申し入れがあった。

何故廣田がこんなことを発表したのか、私には想像も出来ない。吉田が駄目であることを承知していないはずはなく、陸軍の命令によって吉田を放り出し、閣僚の顔ぶれをやり直すことが廣田の立場を弱くすることは分かりきった話ではないか。このやりくりには何か深慮遠謀があるに違いない。多分廣田の外交政策にいらぬ手出しをするという責任を、しっかりと陸軍の負わせるためだろう。陸軍との意見の相違を円滑にし、廣田自信が当分の間外相を兼務することにした閣僚名簿を天皇に提出するのに、廣田は四日間を費やした。この期間を通じて海軍はほとんど何も公然とはいわなかった。陸海両軍はお互いに何の愛情も抱いていないそうで、二・二六事件の時、東京湾に軍艦数隻を回送した海軍は、陸軍に向かって「早くこの事件の片をつけろ・そうでないと自分たちがお前のための片をつけてやるか、あるいは引上げるぞ」といったとのことで、事実海軍はすぐさま軍艦を引上げた。私が聞いた話では、海軍は事実上、あの事件に関する陸軍の責任に、まったく愛想をつかしているそうだ。事件の最初の日、大角提督が多数の水兵に取りまかれ。機関銃を二台持って宮城にかけつけた話は、恐らく意味深長なのであろう。

*1:吉田茂廣田弘毅首相とは外務省同期入省。