日米協会での挨拶

閣下並びに紳士淑女各位

御一同に中に登山家がおられたら、私が今日どんな気持ちでおるか、いくぶんお分かりになることと思います。そのような方は夜の明け方に、長い間希望していた高所に達し、そして新しい眼をもって、また新しい前途への望みをもって、前に横たわる景色を見た時に感激にもたれたに違いないのであります。あなた方にお国の美しい紋章は、かつて私が経験した高山での暁に思いを走らせ、かくて私は、この関係によって日の出を思い浮かべました。景色と吉兆とは30年近く前に私が日本を訪れた時にくらべて、実に新しいものがあります。この有利な点は疑うまでもなく、米国政府の贈物としては最高のものの一つであり、外交官勤務28年の後、この位置を与えられたことに就いての私の満足は、私が表現し得る以上に大きなものがあります。

私は各位の御歓迎を如何によろこんでいるかをお伝えする言葉を発見することが出来ればいいと思います。あなた方の御歓迎はこの重大な使命につく私に、大きな勇気を与えます。私は徳川公爵をはじめ政府の要人方が御丁重に、また友好的に御臨席下さったことを、特に有難く思います。さらにまた、私の家内や娘までに歓迎の意をお示し下さったことを感謝いたしたいと思います。日本はそのゆたかな、親切な厚遇で、すばらしい公表を博していますが、私どもはここに到着してからの数日間に、その実例をいくつも体験いたしました。時としてわれわれの言葉は、いや、あらゆる語られる言葉は、浅薄で表面的なように見えます。かかる場合、われわれは、語られる言葉の底に脈打ち、そしてわれわれが口になし得るものよりも遥かに効果的なX光線言語ともいうべきものに頼らねばなりません。あなた方の御歓迎は、われわれがお互いを現在よりもっと深く知り合うようになるにつれて、この耳には聞こえぬ言葉、それは意志から意志よりも、むしろ心から心へ伝えるものでしょうが、それが日本語と英語とを問わず、しばしば不十分であるところの、話す言葉や書く言葉を補助する有効な通訳になるであろうという私の希望を、正当化いたします。

さて一般情勢を見渡しましょう。われわれを悩ます重大問題が何もないと断言するのは、愚かなことであります。われわれはこのような問題があることを認め、全力をあげてその解決をはからねばなりません。今日われわれが直面する複雑な国際問題の多くは、ここ数ヶ月間に解決されることを非常に必要としています。もし日本に、米国に、また他の国々に、世界の困難を解決するために、すべての時間と努力をついやしている人が何百人もいるのでなかったら、前途の見通しは暗澹たるものであります。人間は除々に、協力し、話し合い、会議を開いて虚心坦懐に語り合い、すべてのために善きことをめざして叡知と知識とをわかち合うことを学んでいます。最終的の成功がこの線にそっていることを私は確信します。今晩、このような問題のどれについても、私はこまかいことを申し上げることが出来ない。まだ日本の土地に根を下ろしていない私がそにようなことをするのは、僭越というべきであります。しかしながら全米国を通じて日本に関する深い、しかも一般的な関心があることを申し上げたい。今日、全体として、極東における諸問題ほど、米国民が関心を持っている問題はちょっと見当たらぬことを、私は保証いたします。

この関心はワシントンやニューヨークや加州に限られておるのではなく、全国的なのであります。大統領、国務長官、私の親友フォーブス、キャッスル両氏その他多くの人と話し合った後、私は米大陸を横断したのでありますが、どこのどの人も日本の考え方、目的、それから底に横たわる動機を知りたいという熱心な望みをもっていることを感じました。私は日本の人々も、本当に米国を知り、米国の考え方と目的と動機とを本当に了解することに、同様に熱心な望みをもっておられることと信じます。日本における私の主な役割は、私の見るところ解釈者のそれであり、日米両国が相互的信頼を、どしどし高めて行くことに役立つように、この二つの国をお互いに解釈して行くことにあると思います。私の主要な仕事は、日本という国を米国人に説明することにあると思います。あなた方日本人は、長年月孜々として米国を勉強して来られた。米国人は日本の生活様式、習慣、歴史、それから驚くほど発達している文化について、まだまだ多くを学ばねばなりません。あなた方が英語を使われるという事実が、すでにこのことを証明しています。しかもそれはたった一つの証明にとどまります。

米国民について、もし私が今日の彼らが最も関心を持っている世界的の出来事は何であるか、ここ十五年間彼らが最も考え、そして議論してきたことは何かと質問されるとしたら、私はいささかもためらうことなく、各国が国際平和の永続的機構を建設しようとする努力についてであると答えます。この主題に関する興味は、いわゆる知識階級、即ち協会とか大学とか、世論を教育し形成することを目的とする男性や女性の諸協会に止まっているのでっはありません。このような団体は大きな勢力を持っていますが、それのみでなく、政府最高の官吏から最も低い位置にいる労働者まで、ひとしく関心をもっているのであります。これは全国的で根本的であり、1914年から1918年にいたる暗い日々の思い出は、時が立つにつれて薄らいで行きましょうが、この四年間の経験は北米合衆国の人々に、また同じ恐ろしい経験を分かちあった他の国々の人々に、精神的に、また事実上、時間も状況もほろぼすことの出来ない国際平和機構を確固たらしめようとする意志を植えつけたのであります。

概観する世界情勢が、重大なものであることは、こばむことが出来ません。私がそこを離れたばかりのトルコや北米合衆国を含む世界のすべての国々は、経済的不況の影響を痛感しています。国々は個人によって構成され国民としての国家が切迫した状態にある時、普通の状態における時とは違った方法で反応するということは、常にあり得ます。これは不確定に一つの要素をつけ加え、斟酌されねばならぬことなのであります。だが私は杞憂家ではありません。今日の世界には、あまりに多くの杞憂家がいます。私は生まれつきの、また信念による楽観論者で、今や日本や私の国を含む世界に重くのしかかっている困難を、人間の万能と知性は克服するということを確信しています。

われわれに共通な問題を解決するため、特に必要なのは、平静、清明、哲学の三者、即ち本質的に東洋的な徳性なのであります。時間はかかります。どんな国でも一晩で繁栄を取戻すことは出来ません。われわれは同じ船に乗っているようなもので、お互いの関係は一国で起こることが密接にその隣国に影響するほど深いものであることを知っています。要するにわれわれはすべて、この地球よりも遥かに大きな天体で充満する空間に浮ぶ一つの遊星の中に、捕われているようなものなのです。ここから逃げ出すことが出来ぬ以上、われわれは出来るだけ仲良くしていくことを覚るべきです。

合衆国が日本に対して、本当に深い関心を持ち、日本がこの不況時代をうまく切り抜けることを望んでいる理由は沢山ありますが、今申したことは、それらの理由の中の一つに過ぎません。貿易関係のみを取り上げても、合衆国ひとりで日本の輸出の四割を取り、日本の輸入の三割に貢献しています。この数字は一考に値します。

私自身の日本に対する同情と好意は、やがてそれらを何か実体的な、日米両国のためになる建設的な仕事として、表示し得ることができると思います。さもなくば、このような感情をあらわすだけでは、価値はすくないのです。この建設的な仕事は、お互の観点を完全にはっきりと認識することに導くような、素直な話合いによってのみ、なしとげられます。要するに、友情とは何であるか。その基盤は何であるか。それが空しい言辞でないことはたしかです。正直な議論を犠牲にして人をよろこばせ、人に好かれようとすることでないこともたしかです。値打のある友人は、人生の如何なる職業、階級にあっても信頼し得る友人とは、彼が考えていることをそのままいう人です。時に彼の言は気持よく、時としてその反対です。しかしこのような友人の言葉を聞けば、自分が一体どういう立場にいるのか、よく分かります。現代にあって、遠廻しということは力ではなく、弱みです。現代にあってそらぞらしい言葉を弄するものは信用されず、また真実なる善意の表現をほしいままにする者は、それを彼の取引において立証せねばなりません。これが私の知る唯一の外交、唯一の友情であります。

二週間前私が日本に着いた時、いろいろな新聞の特派員がわざわざ船まで来てくれて、いくつかの質問を発しました。私は出来るかぎり質問に答えましたが、何か誤解があったらしく、非常に多くのびっくりするようなことをいったように新聞に書かれました。その中に、私が今日の日本について何も知らないと語ったというのがありました。私が実に多くのことを学ばねばならぬのは事実であります。私が虚心坦懐、何らの偏見も持たずに日本にきたことは事実であります。私が日本と日本の難問題を、私がもつ熱意のすべてを傾けて研究しようと考えているのは事実です。しかし私が今日の日本について何も知らないというのは、事実とはいえません。反対に私は広く読み、深く考え、わが国政府の要人のみならず、日本を知っている米国の著名人や他国の人々と、大いに語ったのみならず、外国に駐在する日本政府の代表者とも話し合い、この人達の意見を私は尊重し、その教示を私は信じています。このような背景を持つ人間が、まったく無智だということはあり得ません。私があなた方とともにあるという幸運を持ち続ける間、私はこの既得知識を常に増大させたいことを熱望しますし、また何かの点で私の知識が不正確であるとすれば、同情的な観察と研究でそれを是正したいと望んでいます。

私はまた別の意味で、日本とのつながりを持っています。昔々、私が日本にきました時、私は東京の日本旅館に宿をとり、日本の生活のすべてに入りこんで、出来るだけ多くを学ぼうとしました。しかしその時にくらべて何という変化でしょう。幅の広い町や並木道路、大きな現代式のビルディング、木の繁った公園や庭園。東京市の進歩の著しさに私のような古い訪問者はついて行くことが出来ません。それからまた、私は、日本のおかげで家内をもらったような気がします。彼女は娘のころ三年間日本に住んでいました。そして米国に帰ってきた彼女が完全に私の足をさらい、私と結婚してくれないかと申出させたのは、彼女が美しい色合いの日本の着物や帯やその他のものを身につけて、家庭の中の暖炉の横に立っている幻であったことあ、ゆめ疑いのないところであります。なお私どもの家宝の一つで、われわれが誇りと深い尊敬の念をもって大切にしている品は、パリの講和会議で西園寺公爵、牧野伯爵その他、この歴史的会議へ、日本から派遣された代表各位が、個人的に私に贈られた芳名簿であることをお話したい。今後如何なる絵画が描かれるにせよ、この一般的背景は有力で、しかも実行に適した画布となるのであります。

われわれの問題を解決するのに大切なのは忍耐、しかも非常に多くの忍耐であり、そしてそこには指導者に対する信頼がなくてはなりません。私は私が大きな責任のある位置におかれていることを見出します。私が実際的のお役に立つものとすれば、私は日本政府のみならず、ここにいる米国人の信頼と信用を、それが正当である限り、受けねばなりません。私は在日の同国人にも、また日本の友人にも、私の家の入口はいつも開けてあること、また私が彼らに絶え間なき協力と示唆と忠告とを、如何なる時、如何なる状態にあっても、大いに歓迎することっを知っていただきたい。私は心の底から、私の日本における使命が、この二大国の双方に対して、実質的かつ永久的の利益をもたらすものであらんことを念願します。

最後に私はもう一度、ハーヴァード大学依頼の親友キャッスル氏について、一言いたしたい。同氏は日本に真摯な友人で崇拝者であります。いま私が彼について語ろうとするのは、実は最近、東京における新米国大使館の基石を置く時、同氏が行った演説が私の目に触れ、その演説の中に忘れてはならぬと思う言葉があるからであります。これらの言葉は、私が米国大使館はかくあるべきだと欲するところのものを的確に代表しているので、私にとって重大なこの機会に、それをここに繰返すのは、何よりのこと思います。

われわれはこの新しい建物が、復興された東京の装飾になるであろうことを希望する。だが、如何に美しくても単にそれが外殻であるに止まるならば、大使館は失敗である。もしそれが無数の書類が雨によって汚されるのを防ぐだけのもの、日常の仕事に従事する男女をいれるだけのものであるならば、大使館は失敗である。それは米国と日本の双方への奉仕の精神の住居でなくてはならぬ。そおれは理解の中心でなくてはならぬ。この壁の中で働くものは、この偉大な目的の実現のために彼らの生命を捧げねばならない。・・自然の要素の攻撃に対して不浸滲透性であるこの石が、物質的な意味で、永久に誹謗者と離間者との攻撃に抵抗するわれら両国間の精神的友情を象徴せんことを希望する。この継続する理解と友情との内に、将来の幸福と平和に対するわれらの確信は安置されるのである。

この理解と信頼の発達に、この公共精神に富む協会の協力を大いにたよりつつ、私は私のありとあらゆる努力を傾けることをここに誓います。