週末に招いたダグラス・フェアバンクス*2

この夏の最後の数日を軽井沢で愉快に過ごした。ダグラス・フェアバンクスは、まったくこの上もない客人でとても面白く、生まれつき人を楽しませることを心得ていて、しかも驚くほど謙譲で、また人の好意を心から感謝する男である。彼が東京に着いた時、私は手紙を書いて彼を軽井沢に招待した。私たちは随分前に、ワシントンで会ったことがあるのだ。私は軽井沢での生活がどんなに簡素なものであるか説明した。フェアバンクスはとても私たちの所へ来たがり、同じ日曜日にオリンピックスでの馬術の英雄、男爵西中尉と約束があったのを延期してやってきた。さてこの日曜日は、まず氷のようにつめたいプールで泳いだことに始まり、どしゃ降りの中で三十六ホールのゴルフをやった。彼は首尾一貫四十三というゴルフの名手で、イングランドではスクラッチ(ハンディなし)を競技する。月曜日には午後東京へ帰ったが、その前に十八ホールスやった。

われわれは若い人達を随分多数、事実友達を全部といってもいいが、昼飯、お茶、晩飯に招いたが、フェアバンクスはありとあらゆる手品をしたり、話をしたり、噂話や思出話にふけって、一同を面白がらせた。彼はエルシイがすっかり好きになり、エルシイはおかげで、とても愉快がった。月曜日には昼飯後、徳川侯爵夫妻を訪問した。われわれは昼飯に招待されたのだが、ゴルフのために応じることができなかった。侯爵夫妻はかつてフェアバンクスト英仏海峡の汽船で会ったことがあり、再会を望んだのである。

名誉税というべきものは、この平和な軽井沢でも避けることはできない。フェアバンクスはしゅっちゅう認められ、指さされ、彼は自分の時間の大部を署名することについやしたが、ちっともいやな顔をせず、まことにいい態度だった。その一番乗りが七時三十分にやってきたモス家の小さい男の子二人。ゴルフ倶楽部が完全に沸き立ったことはいうまでもない。キャディは一番優秀なのを揃え、第一のティには見物人が黒山をなしていた。私は彼を誰にでも紹介したが、如何なる場合でも彼は懇篤で陽気だった。毎日彼は一通の電報をメリイ宛に送る。メリイは二ヶ月ばかりさき、東京で彼と落合うことになっている。彼は当分の間、東京に家を借りて住むのだ。日本人を知りたく、またゴルフを思う存分やりたいからだといっている。ある芳名簿に彼は署名し、もっと何か書いて下さいといわれたら「メリイ・ピックフォードの亭主」と書き加えた。彼は最近南洋で映画を一本仕上げ、出来たら最初に大使館で私たちに見せるといった。

軽井沢を去ったフェアバンクスは、電報をよこした。「この上もなく愉快な週末をすごしました。その刻々をたのしみました。どうもどうも有難う。」私はこれは彼の本心だと思うが、それにしても、彼が私どもを、この上もなく愉快にしたのも事実である。私どもは今や映画の製作やホリウッドや映画界については、前よりもよほどいろいろなことを知っている。彼は彼の映画について、私どもが知りたいと思うことを、詳しく、はっきりと話してくれた。例えば「世界一周八十分」その他についてであるが、その際、いささかもかくしたり、また気取ったりしなかった。インド人の男の子が空中に投げた縄をよじ登るすごいトリックがあるが、あれは縄を天井から下げたのを撮影機をさかさまにして写したに過ぎないのだそうである。

九月十二日、月曜日の新聞は私が土曜日、ナショナル・シティ銀行の件に関して、内田伯に抗議を申込んだことに関するワシントン電報をのせ、私の電報の全文を本文通り引用している。なかなかすばしっこいことだ。私が望んでいた通り、私の電報は土曜日の国務省記者会見に間に合ったに違いない。米国の新聞もまたこの問題を相当センセイショナルに扱っているに相違ない以上、国務省は質問攻めにあっているだろうと私は考えたのである。私は「写真的密偵」という言葉を製造したが、新聞がこれを取上げたことはいうまでもない。要するにあの攻撃は、これに過ぎぬのであった。この電報がヂャパン・アドヴァタイザアに出た翌日、時事は社説をかかげ、あまりにも騒ぎが大きかった、そして私がこの事件を内田伯爵のところまで持って行って外交問題としたのは遺憾なことだといった。つまり米国大使館は不幸にして軽率だったというのである。白鳥は最初特派員に向かって内田伯爵が私に調査を行うと約束したのは、単に大使によってなされた抗議に対する外交辞令に過ぎず、調査などは行われないと語ったが、二日後、明らかに命令されて調子を変え、内田伯爵は近く私の抗議に答え「日本政府はこの銀行の好意に何らの反則を認めず、また不純な動機があったものとも考えない。内田伯爵は米国大使に向かって、この報道が米国新聞に公開されることに何らの異議を持つものでもないことを告げるだろうが、彼が日本の新聞に何らかの声明をするであろうとは思えない」といった。恐らく誰かが外務省に米国の世論に関して、もうちょっと用心深くしたらどうかと注意したのだろうかと思うが、外務省は日本の新聞を統御することが出来ず、またしようともしないことは確かである。これは軍部の手中にあり、軍部は国内に反米感情を引起す、もう一つの手段として、ナショナル・シティ銀行に対する運動をあやつったに違いない。