日本における嫡出子−婚姻上および政治上の
次の覚書は一館員がよこしたものである。
私生児合法化に関する日本の法律や習慣は、世界中の他の多くの国々のそれよりよほど寛大である。欧州各国や米国では、私生児はその後、両親が結婚することによって始めて合法化されるが、その場合でも子供が生まれたとき、両親が法律的に結婚し得る状態にあったか否かというような面倒な問題があるのを普通とする。日本では結婚していない両親の間に生まれた子は、出生のとき、母親の家族の一員となる。しかし父親が認知することによって(その父親がすでに結婚していると否とにかかわらず)子は庶子すなわち私生児として父親の家族に入り、父親の姓を取る。彼は家長となり、家財を相続することが出来る。事実彼は社会の完全な一員となり、彼の出生によって汚名を受けることはほとんどない。父親の認知は単に彼がこの子は彼自身のものだということを、地方戸籍吏に告知すればいいので、つまり公認の官吏を前にして自認するだけのことである。
日本人はこの私生児を用意に認知することに馴れ切っているので、これが国際問題にも応用出来ぬ理由はないと考える。不名誉のうちに受胎され、恥辱のうちに生まれた満州国は、父親が認知するという簡単な手続きによって、世界国家家族の完全な、尊敬されるべき一員となれようというわけである。
私にとって、日記は大きな授福*1である。その細部は人生の薬味ともいうべきであり、一方手紙は印象派的絵画以上には、めったに描かぬからである。しょっちゅう手紙を書くひとでさえ、その前の手紙で終わった話を次の手紙で続けることはまれであり、われわれに親しい個人の生活は、あらゆる物語の中で最も面白い物語を供給するものなのだ。私の岳父、トマス・サージェント・ペリイの類のない手紙は、この種の通信者のそれとしては最も日記に近いものであり、私としてはもう彼の手紙がこぬことを淋しく思う。私の娘、ライラとアニタも、手紙については非常に忠実である。日記は人間味を帯びるために、必然的に無遠慮である。だがほとんど30年を通じて、私の文学的無遠慮が、われわれを悩ましに立ち戻ったことは一度もない。
政治論に帰る。日本の新聞は望みは思考の父親なりという理論に立脚していただろうが、国際連盟が近く解散するだろうという見通しを立てている。その理由は
- 合衆国とソ連は連盟に加入せず、合衆国が加盟するだろうという見込みはない。かるが故に英国とフランスは連盟を解消し、合衆国が加入するような別の国際機構を持つことに賛成している。
- 英国は連盟を支持する熱意を缺いていることを示し、ラムゼイ・マクドナルドは国際問題は直接交渉によって解決せらるべきだと信じている。
- 極東問題に関する連盟に活動は役に立たず、もし連盟がその規約を日本に強いようとするならば、日本は脱退するとおどかしている。
- もしフランスが連盟を通じてドイツに圧迫を加えることがあれば、ドイツは脱退するであろう。イタリアはドイツに同情してその例に従い、ハンガリイ、オーストリア、ブルガリアがこれに続くであろう。
- 連盟はボリヴィアとパラガイ間に起ったチャコ問題に関して弱み見せた。
- 事務総長サー・エリック・ドラモンドが近く辞職しようとしていることと、経費の問題は補助的な理由である。
これらは興味の深い議論で、一考の価値がある。私は連盟解消が真剣に考えられているのかどうか知らないが、規約が採決されてから、随分時がたったのは事実であり、その弱点と不利とは、実際の経験によって示された。
今日ケロッグ条約の存在を考慮に入れ、合衆国や多分ソ連も承諾し得るような一般的な大修繕を行うことは、決して悪い考えではなく、すべてにとって善きことかも知れない。偉大なる国際手形交換所としての連盟は、世界的の必要として、われわれ自身も協力しなくてはならず、事実協力している。ケロッグ条約は連盟規約の或る条項を、理論的に廃語にした。現存する機構を残して全部を改造し、合衆国が参加し得るような、そして事実参加するような具合に規約を、ケロッグ条約を参照して書き改め、再出発したらどんなんだろう。すでに十三年間、実際的に経験してきたのだから、それを役に立たせたらいいだろうと思う。
*1:意味不明。辞書にないぞ。