情勢 再び燃え上がる

政治的緊迫の日々である。まったくわれわれの職業では興味のある情勢と仕事とが、周波をなしてくる。われわれが日常の過程ともいうべき、おおきまりの仕事をするだけの、比較的ひまな時期をすごしていると、突然何かが起り、われわれは蜜蜂よりも忙しくなる。外務省の代弁者天羽英二が四月十七日に声明を発して以来*1政治の釜はたぎり始め、長い電報の発受、情勢あるいは見通しを人手にひっきりなしにやってくる大使、公使、代理大使、新聞特派員等で休む暇もない。天羽はすくなくとも特派員にウンと仕事をあてがった一方、外交官たちは何千ドルを電報代に費した。先日晩餐会の席上で私が天羽に、外交団はそろって電信料の請求書を君のところへ送るぞといったら、彼は一向差支えない、逓信大臣は私が電信事務を活発にしたといって山別けにすることだろうからと答えた。現在のところ天羽が日本で「怖るべき子供」と見られているのか、それとも英雄と見られているのか、判断に苦しむ。これはその意見を、穏健分子側と急進分子側とに求めることによって違う。

天羽声明に対する日本諸新聞の最初の反響は、文句なしの賛成だった。しかし海外から香しからぬ反発がきはじめると、新聞のあるものは日本が「極東平和の維持に全責任を負う」という議論には無条件に賛成しながら、この声明の用語がいささか拙劣だったということに一致した。二十六日、廣田が私によこした声明が、天羽の声明と違っていることは留意すべきである。十七日の声明の非公式翻訳によると、天羽は次のようにいっている−

日本は極東に平和と秩序を維持するために、単独にそして自らの責任においいて、行動せねばならぬのが当然だと考える。この責務遂行を可能にすべく、日本は隣接諸国が東亜の平和を維持する責任を分かちあうことを期待せねばならぬのが、中国を除く如何なる国もこの責任を日本と分かちあうものとは考えない。

二十六日の公式翻訳ではこれに手心が加えられて、次のようになっている−

しかしながら日本は、単に地理的位置から見ても、最も重大な関心を持つ東亜の法と秩序の維持に不利な行動を、如何なる国が如何なる口実の本に行うことについても、無関心ではあり得ない。したがって日本は、以上に述べた事情を考慮に入れぬ利己的な政策を遂行するため、第三者が中国問題を利用して利益を得んとする機会を与えるわけにはいかないのである。

十七日の声明で、天羽はさらに述べたといわれる−

日本は中国が日本をはねつけるつもりで、第三国の勢力を利用せんとする如何なる企てにも反対するであろう。これえは東亜の平和を危険にするからである。また日本は中国が「以夷制夷」を志す如何なる手段に訴えることにも反対するであろう。日本は諸外国が先頃満洲および上海で起った事件が作り出した特殊な状況に注意を払うことを期待し、そして、中国に対する共同工作は、よしんばそれが技術的あるいは財政的の援助に
関するものであっても、終極は中国に対する政治的意味を遂げるものであることを理解されんことを期待する。かかる意義をもたらす企図は、もし完遂されれば、権益圏を定めるとか、中国の国際管理とか分割とかいうような、中国にとっての最大の不幸であるばかりか、同時に東亜に、最後には日本にとって、甚だ重大な影響を与える問題を議論することを必要とさえするような紛糾を惹起するかも知れない。

故に日本は主義としてかかる計画に反対するが、もっとも一外国が個々に中国と財政あるいは通商の命題について交渉することは、そおれが中国の利益になり、東亜秩序維持を脅かさないものである以上、それに干渉する必要は認めないであろう。もしかかる交渉が東亜の平和秩序を乱す性質のものであるならば、日本はそれに反対するのやむなきに到るであろう。

一例として中国に戦闘機を供給するとか、飛行場を建設するとか、軍事教官や軍事顧問を派遣するとか、政治資金を備える借款を契約するとか、このようなことは日本並びに他の国々を中国から分離し、終極的には東亜平和の害になる。日本はかかる企画に反対するであろう。
上述の態度は日本が従来とってきた政策を見れば明らかなことである。しかし諸外国による中国への共同援助その他の侵略的援助のヂェスチャアが、あまり露骨になりつつあるので、以上の政策をはっきりさせたほうがいいと思われる。

天羽が四月十七日の声明を発した理由については、いろいろな推測が行われている。私は国務省宛の電報や最後の公文書で、これらの理由を明確にしようと試み、主として日本が中国における各国の活動が累積証拠に反抗的になってきているという論に基盤をおいた。さらに日本だけが極東の平和維持に責任を負うという主義に賛同することは、きたるべき海軍会議で日本が海軍平等を要求する権利を増し、同時に中国支配を可能にする。天羽は日本の新聞記者から、この各種の事柄に関する註解を要求され、重光はとうとうすでに駐華大使有吉に送った指令の内容を発表することに同意した。

廣田がこの声明の発布に賛成したかどうかということは、大した問題ではない。天羽声明は日本が遂行したいと欲する政策を実にはっきり表現しているからである。字句の批評はあったが、声明の内容はほとんど全日本人の絶対賛成を得たらしく、その世論の現状にあって廣田はこの声明を否認し、そして外相の位置に留まることは出来ない。天羽声明の掛値ない結果は恐らく(一)満洲戦役以後ひろがってきた孤立感情を強化すること(二)一九三五−三六年における「危機」に備えよという陸海軍の運動を昂進させること(三)如何なる日本の政府も、対中国政策あるいは海軍比率について他国と著しい意見の相違がある場合、それらの国々と妥協することが不可能な程度にまで、愛国心を進展させることの三つであろう。

サア・フランシス・リンドレイを東京駅に見送る。廣田その他外交団の人々も多数来た。

私は深い遺憾の念をもって、リンドレイを送った。彼と私とは三十年前、カイロで任地を同じくし。アリスも私も彼ら夫妻に真実の愛情を感じていた。彼はいい同僚で、秘密の情報でさえも完全に率直に、そして自由に話して聞かせた。

一人の外交官が最近私に、彼が彼の政府に送った公文書を読んで聞かせ、その後私に要求に応じてその写しを秘密に私のところへ送ってくれた。その中に、次のようなことが書いてある−

何某が(ベルリンでドット大使と会談した後)いったように、満洲に対する米国の態度は今日まで何ら変わっていない。以前報告したように、米国はそのことに利益を認めれば、誰に対してもそれを支持する義務を持たぬスティムソン主義を、放棄することに躊躇しないであろう。米国は一九二〇年、大統領が規約を作成したにかかわらず、国際連盟を放棄することに躊躇しなかった。

この比較は米国の政治体系を全く理解していないことを示す。いわゆるスティムソン主義なるものは行政上の政策で、ある国を承認するかしないかは行政権である。米国議会は決議案を議決することは出来るが、行政府の賛成と作用がなければ大使を出すことは出来ない。しかしながら議会は、政府の国際連盟規約を含むヴェルサイユ条約の承認を論駁する権能を持っているのである。

同じ外交官はさらに、ケロッグ条約は満洲の出来ごとに応用されるべきではなかったと、いまだに信じているといった。彼の論点は

一九〇一年九月一日の北京議定書によって米国は(仏、英、伊、白も同様)中国の北平、天津、山海関その他に駐屯軍を置く権利を持っている。現に天津にあり、数も多く、現代式の武器によってよく整備されている米国駐屯軍が、この条約に考察されている普通の使命の遂行、たとえば天津から二十キロあるいは百キロ離れた地点で米国の宣教師が虐殺されようとするのを防止する目的で、武力を行使したとする。かかる場合、スティムソン氏は中国の国境、あるいはケロッグ条約が犯されたと主張するだろうか。そんなことはない。それは馬鹿なことだからだ。それにもかかわらずスティムソン氏は日本の満洲における軍事行動という全然類似の場合にこれを主張した。厳格な法理論はある点まで押しつめられると、初歩的常識への挑戦になる。

この議論は薄弱で、類推は似而非である。特定地点の外国駐屯軍が人命救助に急行することと、何万人の軍隊を外国の領土に注ぎ込み、その領土を本来の所有者から永久に引離すことを目的とし、結果として大規模な戦争を行うこととは、どう見ても同じだとはいえない。私はこのことを彼に話したが、彼は同意することを拒んだ。彼はなお報告書の中で、米国と国際連盟とが現在の状態を固持する限り、東亜には戦争の危険をはらむ情勢が継続するだろうと論じている。

九国条約に関するこの人の態度は、次の通りである。日本が第一条の条項を破ったと認めたくない彼は、日本が第二条の条約を破ったことも認めようとしない。しかも第一条で「中国の主権独立、並びにその領土的及び行政的保全を尊重する」ことに同意した締結諸国は、第二条で「第一条に記載する原則に違背し、又はこれを害すべきいかなる条約、協定、取決め、又は了解をも相互の間に又は各別にもしくは共同して他の一国又は数国との間に締結せざるべっきこと」に同意している。満州での「自決」という明瞭に虚妄的な理窟を受入れることが出来、しかるが故に日本は第一条を侵犯しなかったと自分を納得し得る人でも、知性あるいは知的正直さをもって、日本が第二条を侵犯しなかったと主張することは出来まい。日本は満州と条約を結んだ時、この上もなく明確に第二条を犯した。われわれは情勢の変化が法的義務に取ってかわるということをよく聞くが、この完全に明白な違反が大目に見られ、受諾されるものならば、われわれはちょうど一九四一年、ドイツがベルギーを犯した時みたいに、自分の国に都合が悪くなったら、すべての条約を紙屑とみなしてやぶいてしまったほうがいい。

ハル氏は最近の覚え書きで、条約義務を緩和し、または終止する通義的の方法はあるが、それはただ調印各国によって規定され、承認されまたは同意された過程のみによるのであることを、はっきりさせた。私は合衆国が満州国を承認する日まで生きていたくない。

*1:天羽英二外務省情報部長声明、、日本は列国共同の中国への援助に反対であると声明。