ハル長官厳然たり

外国の中国援助に関するハル氏の覚え書が到着した時、私は幸運にも在宅した。これは五時に暗号を解かれ、五時半ごろにはタイプされ終わった。この日は日曜日で天長節だったが、私は廣田宛に私的の手紙を書き、重大な用件ですぐ会ってくれないかと申入れた。廣田は電話で六時半に会うと返事したので、私は遅滞なく文書を渡すことが出来た。彼はそれをゆっくりと、注意深く読んだ上、この中で最も大切と思う箇所はどれか、またはどこと思うかと聞いた。私は、私としてはそれを註釈すべきではなく、また私には本文そのままで、まったく明瞭だと思われるがと答えた。廣田は単に、天羽の生命が「大きな誤解」を引起したといい、この覚え書をよく研究した上、いずれ返事をするといった。彼はまったく友好的で、一向の吃驚もしなければ、反対の意を表しもしなかった。私の考えでは、この覚え書は完全に立派なもので、絶対に情勢に適応し、堂々と起草され、内容は明確無比、その語調は穏健で友好的である。

私にはサア・ヂョン・サイモンがあんなにいろいろなことがあったのに、日本が九国条約を尊重する意志を持っているという廣田の保証を、少々早く受諾しすぎたような気がするし、彼が下院でこの保証に満足すると述べたことは、英国民の一部に、もっと何物かが要求され、望まれるのではないかという感じを起させるのではあるまいかと思う。いずれにせよ米国は完全にはっきりと米国の立場を示した。国務省に私がこの覚え書をできるだけ早く提示せよと指令したのは、外務省が明日新聞に発表すると伝えられたまた別の用心深い声明の機先を制するためだと思う。事実これは機先を制した。翌日天羽は、現在のところ、これ以上発表することはないと記者団に語った。他の国々が何を考え、何をするにせよ、米国は各国の(あるいは不承々々かもしれないが)尊敬をかち得るだろう。私はこれを非常にうれしく思う。