アドバンテージ・ディスアドバンテージの考え方

NCAA男子バスケットボール・ルールコミッティー
Edward S Steitz氏より(有利、不利ルールの基本的な考え方と原則)

バスケットボールの審判を観るにつけ、その善し悪しの鍵は有利不利の考え方に根ざすものだという思いを強くします。私の知る限り優れた審判は皆、このフィロソフィーを実行しています。

よく審判としての基本的な考え方や、原則についての質問を受けますが、根本は有利不利の判断基準を備えているかどうか、言い方を変えれば現実的な審判法であるかどうか、が問題です。よりよい審判をするための指針として次のような原則が挙げられます。これらはルールを言葉上だけで解釈するのではなく、有利不利の判断基準に基づいて判定することの必要性を反映しています。

審判はルール・コミッティーによって確立されたルールの精神と意図を充分に理解して初めて優れた笛が吹けます。そしてそれはルールの言葉上の問題よりも有利不利の問題です。以下に常々述べている重要なことをまとめます。

審判をするときの基本的な責務はできるだけゲームを止めずに進行させることです。これはルールに反することがあったときに笛を吹くなという意味ではありません。ルールの精神と意図に反しないような違反は取り上げるなということです。

私の前任者としてNCAA規則委員長を努めていたJohn Bann博士が約40年前に「Oswald Tower Philosophy」と呼ばれる名文句を残しています。これは規則委員が審判に求めていることを非常にわかりやすく示しています。

「ルールの目的は不当な動作で相手プレイヤーを不利にしたプレイヤーを罰すること」

これは審判は常に、違反が起きたかどうかよりも、プレイへの影響があったかどうかということを基準にしなさいという、現実的な取り上げ方を示唆しています。例えばルールでは手で相手に触れ続けることを禁じていますが、ボールをプレイしようとしてボールにかかっている相手の手を思わず触れてしまった場合でも違反でしょうか。このルールを現実的に解釈せず条文通り判定すればゲームはファウルの続出となり、笛が鳴り続けるでしょう。他のケースでも身体接触を相手への影響という観点から判定するのが優れた審判です。相手に何ら不利益が生じないのなら、現実的にはルール違反が起こっていないということです。審判には他のルールと並んでこの原則をいかに適用するかの判断が求められます。
「Oswald Tower Philosopy」には次のような表現もあります。「ルールは言葉上で解釈せず、プレイヤーの動作が相手プレイヤーに与えた影響に基づいて適用する。ルール違反の結果、相手が不利益な影響を受けたら違反者は罰せられる。反対にゲームの進行に何ら影響がない場合は取り上げない。その動作は付随的なものであり、重要ではないので無視する。現実に違反は起こっていないと言える」

私はバスケットボールだけでなくあらゆる種目のテクニカル・コミッティーがこの審判の基本的な考え方を土台にルールを解釈することがよいと思います。

このPhilosopyは審判がバスケットボールを総合的に理解していることを前提にしています。審判は主催者からそのゲームの雰囲気や風土をも理解していると信じたからこそ任されたわけです。優れた審判はこれまで述べてきた基本的な考え方に照らし合わせて、状況に応じた円熟した判定を下します。

調査報告によればコーチの中にも審判の中にもゲーム中に取るに足りない細かなことを問題にしすぎる人々がいます。さほど重要とは思えない専門的な事の掘り起こしに多くの時間と労力が割かれます。私の経験でも、ルール講習会や審判ミーティングの際に実際的な問題の議論を脇道へそらせ、人生で一度遭遇するかどうかというような特殊なケースの議論に夢中になる輩がいます。多くの場合、こういった人々は言葉で頭がいっぱいの厳密な文書解釈者で、自分自身の基準や判定に信念を持っていません。これら少数の「甚だしい笛吹き屋」はゲームを高めるどころか壊してしまいます。そしてこういった人々こそがゲームのあらゆる状況に対して細かな一字一句の条文をルールに求めてきます。しかし、本当にバスケットボールに求められている審判というのは有利不利の判断基準に立ち、人間味のある笛を吹く人々です。大事なのはプレイヤーがルールの精神や意図に反したかどうかです。

よいゲームを成り立たせるのに必要な指針は以下のとおりです。

1.正確な判定を下すためにはプレイに先行するか、できるだけ近づいて観るようにします。判定の正確性とプレイの距離には高い関連性があります。よい審判はできるだけ近くでプレイを観られるように素早く動きます。

2.審判が二人いる(将来的にはどの国のどのレベルでも三人制が望ましい)ことの理由はより多くの目で見るためです。私は三人制審判が間違いなくよいと思います。アメリカではこの三人制が審判の水準を著しく向上させました。それぞれの審判はすべてのプレイに対して判定を下せるようにします。このことはパートナーの審判がプレイをみることができなかったり、ブラインドになってしまった場合は特に大切です。「今のは自分の分担ではない」という審判の発想は複数制にブレーキをかけることになります。

3.良い審判はファウルを想像で吹かずに起きた事象をルールに照らし合わせて取り上げます。今日の能力あるプレイヤーにとって予測しすぎた判定や早すぎる笛はすばらしいプレイや合法的なプレイを阻んでしまいます。

4.プレイ全体を観ずに部分だけで笛を吹くと一方のチームを不利にしてしまいがちです。ゲーム中の不快なラフプレイは審判が最初のイリーガル・ファウルを見逃したために起こる事がよくあります。

チャージングを正しく判定するためにはプレイ全体を見ることが大切です。特にオフェンスがジャンプして空中にいる場合、接触に瞬間よりもどちらのプレイヤーが先にコースに入ったかということが決め手になります。よい審判はプレイを総合的にみます。オフェンスが空中に飛び上がる直前にディフェンスがどこにいたかが問題になります。

5.誰が正しいかではなく、何が正しいかが問題です。ルールは一つだし、解釈も一つです。この解釈はルール・コミッティーによって認められたものを指します。ルール解釈に変更があったときに、抵抗を示す審判がいます。「今度の変更は好きじゃないから自分は自分の考え方で笛を吹く。」という人にはゲームを任せるわけにはいきません。審判にはルール・コミッティーの判断に基づいて笛を吹く責任があります。解釈はあくまでも一つで、それはルール・コミッティーによって確立され、明示されたものをいいます。審判個人の好みとは無関係です。審判には公式ルールと解釈に沿って笛を吹く責任があります。

6.よい審判が身につけている資質
  バスケットボールのルールとゲームの構造に関する知識
  ゲームに必要とされる風采と身体的コンディション
  明確な判定とパートナー審判との協力、穏やかなムードと自身を持った一貫性のある判定

こういった資質をもってこれまで述べてきた有利不利の骨組みに照らし合わせて審判をすればよいゲームが成り立つと確信しています。

バスケットボールのゲームの質は審判の質にも左右されます。良いゲームというのは有利不利の原則を判断基準にプレイされたものです。そして笛を吹くか否かの判断はリールの精神と意図に沿って決められます。この基本的な考え方に照らし合わせて審判をすればよいゲームが成り立つはずです。

日本バスケットボール協会審判部長・国際審判員 石田秀敏氏より