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油断の幻影―一技術将校の見た日米開戦の内幕

油断の幻影―一技術将校の見た日米開戦の内幕

1941年の米国の対日石油禁輸措置が日本をして先の戦争に突入させた原因になっていることはよく知られているけれども、開戦の根拠となった国内の石油需給関係の資料がどうやって作られたか。
戦記ものを読んでいると、このままじゃ燃料がなくなって飛行機も艦船も動かなくなる、開戦は早いほうがいい、なんてことが出てくるけれどその根拠となった資料を作ったのがこの著者が所属していた陸軍の一部局。
いざ開戦してみるとボルネオの油井が無傷で手にはいったり、いろいろと予想外のことが起きてくる。それに冷静になって考えてみると、明らかにおかしいところがたくさんあったり。そんな資料がだれのチェックも受けないで開戦の意思決定の重要なファクタになってしまう。

原油をほぼ全量輸入に頼っているのは昔も今も変わらないし、原油の重要性は今のほうが断然高い。いまのところ産油国との関係は良好なので65年前みたいな事態にはならなさそうだけど、石油をめぐる基本的な状況は変わっていないのがちょっと気がかり。

著者が上司と陸軍省(今の憲政記念館あたりに在ったらしい)を出て市電の赤坂見附まで行く道すがら、交わした会話が面白い。その上司は佐官で著者は尉官。著者は早く開戦して、南方の油田を確保すべきというが、その上司は、大陸から全面撤退もやむをえない、うまくやれば台湾と朝鮮は残せる、と戦争を避ける考え。異論をはさむ著者に、「それが佐官と尉官の違いというものだ」という上司。1941年の夏でも陸軍省、つまり軍政部は開戦には消極的で、それに対して軍の指揮を執る参謀部は積極的。陸軍内部でも意見は割れていたことが意外。