彼とのこと

書くかどうか迷いましたが、思い切って書いてみることにします。技術系ブログをチェックしに来たんだけどってかたはブラウザをとじてください。

6月16日に彼の訃報がメールできました。その時私は出張でブラジル・サンパウロにいました。お昼休みから戻ってきて、メールをチェック。未読の中の一通にそのメールは入っていました。

彼が闘病中だということは知っていたし、予断を許さない状況だということは分かっていたつもりでした。しかし、最後に彼と電話で話したときの様子、それに彼のブログから快方へ向かっているものと信じていただけにショックでした。

彼とは品川区の大会で出会いました。私は当時公認審判になったばかりだったと思います。彼は某チームのセンタープレイヤで、そのチームの帯同審判員でした。コワモテぞろいのそのチームの中でも背の高い彼は目立ってコワモテだったのを覚えています。もちろん、みんな知っているとおりそんな風貌に似合わず、とても繊細で優しい人なんです。
当時1〜2歳だった私の息子を会場に連れていったとき、彼を「ほら、こわいおにいちゃんだよー」などと紹介したら本当に傷ついた様子をみせて、私を慌てさせました。

出会った頃から彼は公認審判員を目指していました。ちょっとだけ先輩だった私は先輩風を吹かせて未公認だった彼に、ここの現象が鳴らないね、動きがこうだね、なんて偉そうに講釈をたれてたものです。
彼が公認審査に合格して公認審判員となるや、彼は審判としてどんどん成長していきました。全国大会への派遣、一部リーグへの割り当て、大会最終日の割り当て。ステップアップしていく彼。そんな彼を見て、昔先輩風を吹かせていた私はとても焦りました。同時に品川、渋谷での同門の後輩としての彼をとても誇らしく思いました。友人でもあり、ライバルでもありました。

彼はとても社交的です。彼がいるだけ場が明るくなります。彼はどんな人とでもすぐに打ち解け、友達になることができるという特殊技能をもっています。ときおり、若い女性にその技能を発揮して奥さんを怒らせることがあり、諫言をしたこともあります。彼のおかげで私にもたくさんの友人ができました。彼と飲みに行けば、本当に楽しい気分で時間が過ごせるのです。あの雰囲気、あの笑顔、あの話し方。もう見ることができないのです。

彼とは何度も一緒に審判をやりました。品川のゲーム、渋谷のゲーム、東京都のゲーム、実連のゲーム。私が彼の目の前を吹いたときの「あれっ」という顔、ちょっとふざけたOKサインなどなど。彼と一緒にレフリーをやっている1時間ちょっとのゲームは今となっては宝物のようなゲームでした。彼とレフリーをやっている間、私にとっては言葉を超えた会話のような、息のあったパートナーとのダンスのような濃密な時間を過ごすことができました。

いまこうやって思い返してみると、私が彼に受けた影響が大きいことに気が付きます。ありがとう。本当にありがとう。でも早過ぎるよ。もっとたくさん一緒に吹きたかったよ。

あと何十年か以内には俺もそっちへ行くからさ。また一緒に吹こうよ。「飽きたよ」なんていわないでよ。