日本を阻止し得るのは力だけである

陸海両武官を含む館員会議を開き、スティムソン氏*1への電文を読んだ。これは昨晩書き、一晩おいてまた書き直したものである。一同、同意の意を示す。私は煽情的でありたくはないが、しかし継続的に記録に残したいのは、日本政府が優位的な物質力によってさまたげられぬ以上、満洲における筋書きを推進して行く気でいるということである。電報の中で私は、日本政府は優れた力によってさまたげられるに非ずんば、満洲におけるプログラムを遂行する決意を持っており、しかも政府を支配する分子は彼らの目的を正当だと信じていて、これらが彼らの決心を一層強いものにしていることは、国務長官にいくら強くいっても言い足りぬ点だと書いた。自由主義的の政治家は、無に近い力しか持っていず、軍備はどんどん進行している。国際連盟の報告が有利でないことは期待しているが、一番大きな邪魔者は米国だとみなし、現在のところソ連との摩擦は話題にのぼっていない。

私は知性のある人々としての日本人が、満洲の自己決意というような明白なウソの前提を本心から信用することがどうして出来るのか、これはわれわれとしては信じられぬことだが、彼らはこの一連の行動を、自衛上のそれではないとしても、最高な国家的利害関係であると見、この観点に立って、もし必要ならば戦争もしようという心構えであると書いた。このような意見は、特に最近数週間、増加する強度をもって確認されてきた。この形勢を注意深く研究した結果、私には日本の現在の非妥協性を打破し、あるいは穏和にすべき道を、まったく見出すことが出来ないのである。日本に政策は将来、他国からの道徳的圧迫や国内的経済事情によって緩和されざるを得ぬようになるかも知れないが、ただ今のところわれわれは、日米両国の明らさまに相反する政策と主義主張とを直面し続ける以外に方法はないのである。

私はこの電報を出し、情勢をしっかり記録にとどめたことを、大いによろこばしく感じた。米国の政策はこれらの事実を的確にしって構成さるべきである。

個人的には誰も彼も友誼的であり、私交上には最善の関係を続けながら、集合的には常に自国に対する深い不信と憎悪が存在することを感じる国に住むというのは、まことに変な気持ちがする。この憎悪は全然個人としての米国人に向けられてはいないらしいが、スティムソン氏は別である。日本中の敵意が同氏に集中している。事実新聞を読んで受ける印象は、日本人が果たしてスティムソン氏が米国の対日世論を代表しているのかどうか、疑問に思っていることである。多くの新聞がスティムソン氏が国務省を去れば、形勢は変わるというようなことを、勝手に書き立てる。日本の新聞は米国人の誰にとっても愉快な読み物ではない。それらはしょっちゅう、合衆国をひっぱたたきそして満洲に関する社説や記事は全く単純に、支離滅裂な考え方に立脚している。日本は九国条約その他を侵犯していないとか何とかいう議論は、自衛と自決という二つの虚偽の前提のもとになされている。彼らの自己防衛という法理論は不合理である。日本人が満洲の自己決意を主張し、満洲にすむ二千七百万人の中国人が真実上の革命によって本国から離脱し、住民自らが離脱し、住民自らが満州国という喜歌劇的国家を建設したのだと平気でいうに至っては、日本人は三歳の児童にも劣り、人間の知性を侮辱するものである。しかもこの議論が受諾され、疑問の余地のない前提として常に主張され、この誤った基礎にもとづいた日本の立場なるものが、間断なく、また注意深く、新聞紙上で説かれるのである。

ここに日本人の支離滅裂な考えた方が入ってき、彼らの立場なるものが、カードでつくった家のように、ペシャンコになるのである。私としてはリットン調査団が、全日本の位置のこの二つの虚偽な前提をくつがえさずにはおくまいと思うが、その場合、単にフランスをよろこばせるだけの目的からも、いろいろと調子のいい言葉がつかわれることだろう。噂によれば、また日本の新聞の報ずるところによれば、クローデル将軍は出来るだけ調査団報告の色合をやわらかにする命令をうけているそうである。

九月三日のアドヴァタイザアには藤田進一郎*2なる人の、日本の満洲における行動を米国のパナマにおける行動と比較した長い文章が掲載された。事実これは日本の論説記者のお気に入りの主題なのである。私はフライシャアが、この日本人の論文にならべて自分自信の論文を出し、パナマ国建設に関するすべての事実を列挙したあげく、次のように結論しているのを見て、とてもうれしく思った。

以上が事実である。米国がパナマで取った政策と日本が満洲でとった政策との間に類似点があることは、だれも否定しないところであろう。しかし日本の論客がおおむね見逃す一つの大きな相違があり、それは時代という一因子である。米国のパナマ干渉は30年前に起った。米国の軍艦がパナマにおける1903年の革命を支持し、その結果、運河を合衆国に譲渡すべく調印し、これを管理することになったが、これに関する米国政府の行動を阻止すべき国際的公約は何も存在しなかったのである。

国際連盟規約、九国条約、ケロッグ協定は世界大戦の終末に続く時代の産物である。以前各国は力の法則により、戦争を彼らの国策の道具に使ってそれぞれの運命を開拓した。今日世界の人々は、これらの条約を表徴とする新しい秩序へ彼らの信頼をかけているのである。

これはアドヴァタイザアが押収されることなくしていい得る限度であり、注意深く進まねばならぬフライシャアの立場としては、ある程度の勇気を示したものである。

このような論評は、ただ今としては、特に興味があるわけではないが、私は日記というものはそれが書かれる時、筆者が何を考えているかを多少なりとも書いておくべきだと思う。歴史は常に展開されていくパノラマで後年、過去におけるある特別な場面に、すこしでも色彩と雰囲気とを添えることが出来たら、日記は役に立つものだろう。

*1:米国国務長官

*2:朝日新聞社会部長のことか。ニューヨーク特派員経験者。