齋藤子爵殺害
恐ろしい時であり、私はたった今、斎藤家*1弔問という悲愴な経験を済ませて帰ってきたばかりである。昨日彼が殺されたその家で、彼の遺族が白衣をかぶって畳の上に安置されている部屋へ案内されたが、おそらく彼が殺されたその部屋なのであろう。跪いて焼香し、喪にある家族の方に振り向いて私はあの愛すべき齋藤子爵夫人が私の真ん前に座っているのに気がついた。昨日夫人は傷の手当を受けて病院にいたのだが、愛する夫の遺骸とともにあるため、腕を三角巾で吊って無理に出てきたのに違いない。
彼女は私に顔を見たいかと聞き、そこで白布を取りのけた。銃弾の傷が一つ見えたが(三十六の傷の一つである)彼は安らかに眠っているようだった。われわれはどれほど彼を愛し、彼に敬服し、彼を尊敬したことだったろう。彼の顔からは愛嬌のいい微笑が消えたことなく、彼の白髪は、彼が高い位置や有益な生涯で獲得した高貴とは全く別な、高貴さを彼に与えていた。暗殺のたった数時間前、彼は私たちの食卓につき、元気に愉快にアリスの横に座を占め、一方彼の夫人は私の横に、また受けた傷から死に瀕している鈴木提督*2は、私と向合いに坐っていたのだ。
今日悔みに行った時、齋藤夫人は遺骸の前に並んで跪いている私に、彼女の夫は昨晩までトーキーというものを見たことがなく、大使館邸での映画を非常によろこんだ。あれほど楽しい一晩を与えてくれたことについて彼は必ず彼女に、私たちに礼をいうことを望むだろうといった。私はひどく心を動かされ、それに対してはただアリスの同情の言葉を伝えることしか出来なかった。昨夜彼が彼自身の静かな小さい日本の家庭で、銃弾と銃槍による死に直進するために、それから鈴木提督も、米国大使館を出たことを誰が予見したろうか。
これらの暗殺はひどくわれわれを揺り動かした。齋藤、高橋、渡辺*3殺され、鈴木の負傷は致命的かもしれない。牧野伯爵が逃れたのは天に感謝すべきである。彼は時間に間に合うように警告を受け、暴徒の一群が無抵抗の彼を殺す意図をもって乱入する直前、滞在中の温泉旅館を出て安全な場所へ移ったのである。樺山はその後牧野とあい、宮の下から電話をかけて私にこのことを話した。興津の別荘にいた西園寺公もちょうどいい時に逃げたが東京の人たちは何らの警告も受けていなかったらしい。
前の晩、われわれが食卓についていた時、ある者が大使館の召使の一人に電話をかけ、齋藤が大使館を退去する瞬間に通知してくれとたのんだとのことと、その後われわれが調べたら、電話をかけたのはこの地域の警察署だったことは、意味が深い。彼らは何か特別な警報をうけていたのかも知れず、あるいは単に平常通りの護衛方法だったかも知れないが、たぶん後者だろうと思う。いずれにせよ齋藤がこの晩対しかに来ていたことは、とっちみち何の相違もなさなかったというのは、彼が退去したのは十二時よりよほど前であり、彼が殺されたのは次の朝の五時か六時だったからである。もし殺人者たちが大使館に乱入し(彼らの武力に関する限り、これは容易に出来たことである)食卓で齋藤を刺殺したとしたら、二重の恐怖だったろう。かれら狂熱者は、もしそれが彼らの目的を容易ならしめるものと感じれば、かかる行動の国際的外貌などは、ほとんど考慮にいれなかったろうし、彼らのある者というよりも、すべてが機関銃を持っていた。首相*4の場合、官邸乱入に先立って、数名の警官*5が薙ぎ倒され、渡辺家では家族と召使の全部が殲滅された。