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鉄道忌避伝説の謎―汽車が来た町、来なかった町 (歴史文化ライブラリー)
- 作者: 青木栄一
- 出版社/メーカー: 吉川弘文館
- 発売日: 2006/11/01
- メディア: 単行本
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小学生の時に習いませんでしたか?隣の町に鉄道が来ていないのは反対運動があったからだとか、蒸気機関の火の粉がどうのとか、振動がどうのとか。そういう反対運動の結果、鉄道の経由地がこうなったとか、駅の位置が町外れになったとか。
首都圏で一番有名なのは、中央線。府中とか調布とか当時の主要都市を完全に無視して武蔵野台地を一直線に西に向かっている線路は、宿場町が鉄道敷設に反対したからだというのが広く信じられている話。「中央線 反対」でGoogle先生に聞くと、そんな話が沢山出てきます。
こういった話には根拠がないことを縷々解説しています。曰く
- 鉄道路線は純粋に技術的に決定されている。
- 路線や停車場に反対したという一次文献は存在しない。反対に誘致した文献は多数存在する。
- 当時(明治初年度)の鉄道敷設は官が担当した。当時の官僚は現在よりももっと高圧的でそれなりの理由があれば、多少の反対で経由地や駅舎位置を変更することは考えにくい。
などなど。そりゃ技術的にいえば、線路が直線のほうが望ましいことは当たり前ですね。上野原駅や岡崎駅は川の位置や、等高線上技術的に現在の位置に、大阪駅や名古屋駅は当時の市街地の外郭に設置されています。
東海道線や中央線などは都市間輸送を目的としているので、途中の経由地はさほど重要視されていないのは納得できる話です。