ソ連大使、一九三四年の春を決定的なものと見る

今日ソ連大使ユレネフと長時間話をした。最初に彼は東支鉄道売買に関する交渉の現状を話した。一般会議はまだ開かれず、今のところでは外務大臣と彼とが予備交渉を行っている。これは徹頭徹尾商取引で、どちら側もうまくやろうとしていることは当然だが、とくに日本の世論を満足させることに困難を持つであろう廣田氏は、一生懸命である。その情勢を要約すれば、左の如くである。−

ソ連政府は、この交渉を二つの部属にわける。その一は、(一)ソ連従業員の変換(ニ)満州国が同鉄道の負債を引き受けること。そのニは、鉄道そのものの実際的売却である。従業員の報償としてソ連政府は九百万円乃至一千万円の金額を期待する。負債の金額が大体どのくらいあるのか、ユレネフは私に話さなかった。鉄道の価格として、満州国側は最初に提示した五千万円から後に引いていない。ソ連は初め二十億五千万ルーブルを要求したが、その後二十億ルーブルに引き下げた。なお日本の便利になるように、ソ連は引きつづき総額の五割を雑貨で、残る五割の中の一割五分は署名調印と同時に円でそれぞれ受取り、残額三割五分は満州国政府によって三年間に支払われることを申出た。最後の同意されるであろう金額は、大変なものになるだろう。今のところ引き渡さるべき雑貨の種類についてかけ引きをやっているが、日本側はこの点で出来るだけ有利にしようと努力している。

私は大使に一体この交渉がうまいぐあいにいくと思っているのかと聞いた。すると彼は「もし日本がソ連との戦争を避けようと思っているのならば、同意に到着するだろう」と、意味深長なことをいった。そこで私は「その言葉はもし日本が折合いをつけなければ、ソ連が宣戦布告するのだという意味に解釈できるが」といった。彼はそんな意味ではなく、もし東支鉄道売渡しの話がまとまらぬとすれば。これは日本が戦争を欲し、そしてこの交渉の失敗を戦争を起す理由として、日本国内の世論を満足させる口実にするという、重大なことを示すのだといいたいと思ったのだと説明した。日本はすでに交渉が成功しようがしまいが、東支鉄道は取るのだという意味を書類で発表して、手の内を見せてしまっている。

次に私はユレネフ氏に、あなたは戦争が避け得るという楽観論者かと質問した。彼は楽天主義者であることは大切だといい、日本政府はある時期に彼の廣田との下交渉を公表するかも知れず、かかる時こんなふうだったと発表される彼の態度は、この形勢の重大な要素になるかも知れないので、彼は非常に用心深い立場をとらねばならぬのだということをほのめかした。この言葉にもかかわらず、彼の将来観はすこしも楽観的ではないという印象をはっきり与えた。彼はまた今月東京で主要師団長の会議が開かれ*1その席上でソ連を攻撃することの可否が徹底的に議論されるだろうといった。彼は一九三一年九月十八日、満州で事が起った直前に、同じような将軍会議が開かれたという、意味の深い事実に言及した。彼はまた林がとくに新疆で、絶え間なく対ソ連工作を行い、林が現在どんな態度でいるのか正確なことを知ることは至難だが、彼が平和的意図を抱いていると信じていい理由は何一つないらしいといった。

ユレネフ氏はそれまでにも何度か私に話したことを繰返した。ソ連が如何なる不測の事件にも万全の備えが出来ていること、ウラヂオストックとシベリア国境とが強力に要塞化されていることである。シベリア鉄道の複線化は酷寒にもかかわらず、この冬、着々と行われた。もし日本が攻撃すれば、大兵力を満州に注ぎ込み、ウラヂオストックと東部シベリアの隣接地域を占領することはできるだろう。しかしそれ以上の行動は日本の交通線の延長と弱体化をもたらし、ソ連はすこしずつでも増加する一方の兵力を、その地区に送ることが出来る。万一戦争が起れば、そのどちらかが完全に参ってしまうまでは止むまいが、ほとんど無尽蔵ともいうべきソ連の力を消耗するには長い時間がかかる。日本の海軍がソ連のそれよりも比較にならぬほどすぐれていうるのはいうまでもないが、ウラヂオストックにあるソ連の潜水艦隊は強力なもので、日本の主力艦を一隻か二隻沈めれば、それは重大な意味を持ち、極東の全情勢を変えるかも知れないと彼はいった。さらに進んで彼は、現在のところソ連の方策は純粋に防御的だが、戦が始まればこれらの防御手段は、たちまち攻勢的になり、日本がすばやく顕著な勝利を占めぬ限り、ソ連満州の一部、あるいは全部を占領することが出来るだろう。とくにすくなくとも十万の満州軍はソ連を支持し、作戦の形勢をひっくり返すだろうといった。

私はユレネフ大使に、東京駐在の各国軍事専門家は大概日本の戦闘能力は一九三五年、その絶頂に達し、もし戦争が企画されるならば、一九三五年の春が攻撃開始の最もある得べき時だと信じていることを話した。ソ連大使はこれに答えて、正確な日付を予測することは誰にも出来ないが、かくの如き攻撃は今年の春、師団長会議終了後、いつでも起るものと考える。何故ならば日本は、時間が立てば立つほどソ連側に有利になることを理解しているからだといった。ユレネフ氏は今度の高級将校会議の席上で、最後の決断がなされるものと、かたく信じているらしい。現在日本で天皇、西園寺公爵、牧野伯爵、自由主義論者の相当な一団、とくに廣田を含む重大な平和化勢力が動きつつあることについては、彼も私に同意したが、最後の鍵は軍部が握っているのだといった。

さらに続いた会話でユレネフ氏は、新疆の情勢について語った。ここではソ連から送還された中国軍が他の軍に勝っているのである。彼は日本人が中国を一層分裂させるため、中国にあって間断なく策動していると信じている。また彼は、日本人は特に航空機の発達で米国が中国の尻押しをしていると確信していると考える。彼は米国が比島、グアムその他をさらに要塞化する意図について、いろいろ質問をした。また彼は、彼が得た情報によると、英国は目立って親日的な傾向を示しつつあるといった。彼によると、英国は日本があまり強大になるのを恐れる十分な理由をもっているので、非常に困難な立場にいるとのことである。全体として彼は、極東を通じて国際的陰謀が絶え間なく働いていることは認めるが、政治情勢が雲をつかむようだということに同意した。

*1:原注:この師団長会議は三月二十六日東京で開かれ五日間続く予定である。これは年次的なものではなく、新しい陸軍大臣が任命されると慣例的に行われるものといわれる。