東京聖ルカ医療センタアの新建築会館式における挨拶

あらゆる時代を通じて先見力ある人々が感じた真理は、人類の家族が一つの単位だということであります。しかもこの基本的な真理の実際的完成が遅々として、漸進的なものであることはやむを得ません。この考えはいずれの国においても、自分の周囲を見渡し、その興味が単に自分の家庭や信条や国だけにとどまらぬ何人かの個人によって育てられましたが、将来もまたこれらの人々によって生長させられるのであります。

この人類家族の単一性の哲学にあって、共通する人間性に、肉体的苦悩ほど強く心を打つものはありません。病気と苦痛の救済には、単なる功利主義よりも広くて深い意味が存在するからであります。病院は慈悲を教え、そして病院が尊敬の念を起させるのは、根本的には病院が愛と人間一般としての人間性に対する責任感を代表するからであります。

米国における何千という監督教会の教区、ロックフェラア財団その他多数の進歩的公共精神を持つ人々をして、今日われわれが開くこの立派な建物の建設と運用に貢献せしめたには実にこの啓蒙的哲学なのです。そもそも東京聖ルカ病院の設立が、連合的かつ協力的な事業であったことは、天皇陛下並びに先帝の大御心による巨額の御下賜や、皇室、内務省東京市その他の団体、後藤伯爵、大隈公爵、澁澤子爵らを含む著名なる日本紳士らの沢山の御寄附が、何よりも強く物語っています。日本側の協議会は米国協議会と強力して、最も必要とされた時に忠告と援助を、十分に、そして助力的に与えられ、それによってこの偉大なる組織の発展上、顕著な役割を果たされた一方、聖ルカ病院とそれに附属する各種活動は、ただ一人の人、ドクタア・ルドルフ・トライスラアの夢と信念と疲れを知らぬ精力が、日米両国を代表する彼の有能な仲間の力強い指示を得たことに負うこと、すくなからぬのであります。私は心から、今日彼に捧げられ、そして彼が受けるに値いする讃辞に同意し、夢見る人に彼の夢が実現化したことをお祝いします。

この病院の背景と歴史を述べることは、私の目的ではありません。それについては、この病院の発達について私よりももっとよく知っている方々が、すでに効果的に語られました。私自身の考えは、不十分かも知れませんが、すくなくとも誠実に、この病院とそれが代表する広い意味に、表現を見出そうとするのであります。

国家の政道や政治のはるかに上に立つのが、さきほど私が申上げた、人類家族は一単位だという崇高な哲学であります。これは人類の荘厳な着想であり、自然が必然的にその推駆的精力を、あるいは遅々としているかも知れぬが、いつかは実現されるに違いないものとして、それに向かって行使せねばならぬ着想なのであります。文明の全傾向が、その方向に向かってきているのではないでしょうか。有史前の家族は、種族的結合に利益を見出しました。その種族は徐々に、今日の国家へと発達しました。今日世界の各国家は着々と、より緊密にして進歩的な協力に進んでいます。かくすることによってのみ、最大多数の最大幸福が得られることを理解するに至ったからです。かくて人類家族の整合は、漸次にしかし確実に、発達途上にあります。われらが失望の時期を過ぎる時、われらの時代においてすら行われた進歩と、すでに人間が歩いてきた路とを、ふりかえって見ようではありませんか。この運動の終局の勝利は、時間と個人による楽観論や悲観論に色づけられた見解の問題ではなく、必然的に遭遇するであろうところの失望や障害や遅延にかかわらず、人間全体がその最善と最幸福を目ざして働くことは決定的であり、しかも人類が生得、このような本能を持っている以上、これが何時か成功することは、想像の法則の成就と同様、数学的に確実なのであります。私を夢想家と呼ぶ人は、歴史上の事実と進歩と基本的の傾向とを顧みて、数学的等比の法則を、将来にあてはめてごらんなさい。

今日私がこの世界的運動についてお話するのには、二つの理由があります。第一に国際協力の原則を具体的に示す、この偉大な医療センタアが日本に建設されたことは、人類家族の精神において、また事象の性質において、実際上一つの単位にならなければならぬという、根本的事実を現しているからです。第二に医学の原理は、世界和合という黄金時代が、指導者達の漸次の進歩と経験と叡智によって獲得されるまでは、世界がかつて悩み、現在も悩みつつあり、将来も悩まねばならぬであろう苦痛に、如何にも適切に応用されるからであります。

われわれの国際的苦難の最も多くは、知らぬ間によく昂進する病気とよく似ています。癌と同じく、これらは概して、一局部における長期にわたる刺激の結果として、小規模に起ります。もしこの刺激が前もって感じられ、すばやく処理され得れば、病気は避けることが出来るかもしれません。だが、最も巧妙な医師でも前もってこの刺激を感知し、あるいは感知する機会を与えられないかも知れませんが、明瞭な徴候が現れた瞬間、彼は手術が避け得られぬようになる前に、治療法によってその病気を根絶しようとします。

遠い将来、あるいはわれわれは国際政治健康の教授団ともいうべきものを持つようになるかも知れません。これは医師が彼の個々の病人の精神的、肉体的、道徳的の状態を、あらゆる点から研究し、また研究することを務めとするように。国際関係を研究するものなのです。国際的健康に対する潜在的危険の源泉が認められたらこの教授団は、実際の病気が起るはるか前に、潜在的摩擦の原因を排除する目的で、感染の各源泉を指摘するのです。治療方法は、その病気が発達する機会を与えられる遥か遥か以前に、採用されねばなりません。国際間の事件にあっては、一度敵意の熱が現れると、その病気を避け得ることは不確実で、あるいは手おくれかも知れません。予防手段は、間に合うように取られねばなりません。小数の達見ある政治家が特定の件に関して、会議のテーブルをかこんで平静な意見を交換することは、世論の燃え立つ機会を与え、彼ら自身の冷静な判断が事件の過程と国際的敵意の熱とによって、ゆがめられない前であればあるほど、多くのきき目があるのです。

この国際政治健康教授団は、将来の夢であり、しかも純然たる私の空想の産物ですが、ちょうど今日ロックフェラア財団その他これに類する団体が、癌撲滅のために絶え間なき調査を行っているのと同じく、他のいかなる研究所も同じく、常時研究調査を続けねばなりません。その団員は各国の首相その他の有名な官吏ではなく、人生活動の各方面における非政治的な技術専門家でありたいのです。予防手段が有効であるためには、彼らの発見や警告や勧告は、時間的に余裕を持っていなくてはなりません。われわれは一八九九年、ヘーグで第一回平和会議が開催されてから、随分長い距離を歩んできました。まだわれわれは長い道をたどらねばならぬでしょう。さりとてわれわれは絶望する必要がありましょうか。この国際的協力に向かっての運動は、ゼウスの額からアテナが飛び出したように、生まれた時すでに完全に生長して飛び出したものではありません。これは人間の赤ん坊と同じように、彼の教訓と経験とを役に立てながら、徐々に育っていかねばならぬのです。これはこの偉大な病院の公共奉仕の可能性が、医療科学の分野における経験と発明と発見によって生長するように、必ずや完全なる成熟にまで生長いたします。

友人諸君よ、私は今日の出来ごとの重大性の霊感を受けて、空想の翼を広げて見ました。私の国際政治健康教授団は、思考の虚構、あるいは妄想であるに過ぎません。私はこの医学上の職員団が、その文化的使命において、個人に、また共同社会のために、いかに多くをなしとげ得るだろうかを考え、その考えに誘われて、この言葉を比喩的に使い、その言葉の概念を説明的に用いたのであります。白昼夢も時には害になりません。それらは少なくとも人間の心を、有益な筋道に導きいれます。私はこの偉大なる建造物と、その活動をこの建造物が立派に収容するであろうところの組織の中に、人類家族の根本的単一性の実際的表現を見るのであります。われらをして、この建造物が代表する道義の中に、今日この家族を、より近き協力に持ちきたさんとしてなされつつある努力の実際的類似を見出し、あの広大なる目的に、この大病院の国際親善の表示と、病患と苦悩の軽減と、十字架の精神と教訓の形体賦与を適用せしたまえ。