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私が朝鮮半島でしたこと1928年‐1946年

私が朝鮮半島でしたこと1928年‐1946年

土木技術者として日本統治時代の朝鮮半島で暮らした著者の回想録みたいなもの。前半というか、前の8割くらいは、どこで橋を作ったとか、土地区画整理事業をやったとか、どういう人をやとって、どんな風に仕事していましたとかってのが淡々と書かれている。最後のほうで先の戦争が終わって、その当時いまでいう北朝鮮側に住んでいた著者を含む日本人の脱出紀行に。その当時安州(平安南道)で灌漑事業をしていた著者は、現地に留められたが何時までたっても帰国できなさそうなので、脱出。徒歩で南へ向かう。途中でいろんなの(自称警備隊とか、青年隊)とかに拘束されるけれども、お金で解決。でもってなんとか南側に。

この脱出で「お金」が「円」であり、終戦後も通用していたことは書いてあったけれども、それが日銀券なのか、鮮銀券なのかは触れれていなかった。私の母一家は終戦京城(現ソウル)の開業医で、比較的裕福だったそうだが、「鮮銀券が全部紙くずになった」とぼやいていたのをよく覚えています。大体鮮銀券は「円」だったのかな。京城からの引き上げは全く安全で、釜山からの引き上げ船がたまに機雷に触れて沈むことがあったというのは母親談。こんど会った時にもっと詳しく聞いてこよう。北側在住だった人は大変な苦労をしたんですね。